「プチぶんか村」にエッセイを書きました

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
あっという間に1月も半ばになってしまいました。
遅いごあいさつですみません・・・。
昨年秋に、私の住む町のミニコミ誌「プチぶんか村」にエッセイを書きました。
お読みいただけたら嬉しいです(^^)/
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ぶんか村エッセイ125
「快適な住まいの設計を目指して」
水越美枝子 (一級建築士事務所アトリエサラ(㈱)代表)
物心ついてから数回引っ越しをしたせいで、
子供の頃から住まいにとても関心がありました。
14歳の時に自宅を建てることになり、始めて設計図というものを目にし、
図面通りに出来ていく家を見て設計をする人になりたいと強く思いました。
高校卒業後、住居学科のある日本女子大に進み、卒業後に女子の技術職を
初めて採用する清水建設に入社。才能豊かな先輩達から多くを学びました。
バブル期で毎日残業でしたが仕事は楽しく天職だと思えました。
結婚し、まだ育休法がない頃でしたので、覚悟を決めて娘を産み仕事を続けました。
ところが夫が海外勤務になり、悩んだ末に31歳で退職。バンコクに6年暮らしました。
渡タイ当初は仕事を辞めた後悔ばかり募りましたが「人生の休養期間と思って
ここでしかできないことをやってみたら」という夫の言葉で気持ちが切り替わり、
ジムトンプソン博物館の日本語ガイドや育児サポートのメンバーに加わりました。
ある時、母親達のボランティアで、日本の子どものための図書館を
作って運営する計画が持ち上がり、設計を担当しました。
その時の仲間には、図書館の司書や教員の経験を持つ人、保育士や、編集者、
医師や看護師、弁護士といった専門家もいました。
皆、子どもを持つ母親で本が大好きでした。
この、女性達との協働の経験は今も私の財産です。
ところで、やっと生活を楽しめるようになった頃、私はその頃住んでいた欧米式の住宅の間取りが
楽で合理的なことに気付き、同時に日本の住宅の改善点も見え始めてきました。
そして帰国後、友人と開いた設計事務所で、新しい住宅の設計を模索していくことになるのです。
この考えを書いたのが「40代からの住まいリセット術」と、その写真版の
「いつまでも美しく暮らす住まいのルール」です。
間取りの指南書として、台湾、中国、韓国からも出ています。
事務所も24年、設計した住宅は新築とリフォームで300軒になりました。
お客様とスタッフに感謝する毎日です。

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「プチぶんか村」編集長の宮崎直子さんは、偶然近くにお住いの私の高校と大学の先輩です。
出版社を持って、地元はもちろん日本中に友人知人が多い、とても魅力的な才女です。
「なんでもいいから、あなたのことを書いて。」と、数年前から言われていていたのですが
今までに書かれたエッセイが、あまりに有名な方たちのものばかりなので、
私なんかまだまだ・・・、とずっとお茶を濁してきていました。
でも昨年、書きます!と返事をしてしまい、あれこれ自分の半生を振り返ることになったわけです。
書きながら、昔のことを思い出し、自分のことも振り返ることができてよかったです。
宮﨑さん、ありがとうございました♪
これからも「プチぶんか村」楽しみにしています。